ありのままが受け入れなかった私がたどり着いたこととは?
子どもの状態を見て
一喜一憂してはいけない
と思いながらも不登校の渦中にいる時は
「ありのままを受け止めること」
すんなりと出来ないですよね~
私も段階的にゆっくりと
受け入れるようになった感じでした。
どのようにして
ありのままの感覚を
理解できるようになったのかというと・・・
不登校時代の1番心が痛かった
ある出来事がきっけでした。
それは・・・
娘が、自分の部屋に
引きこもってしまったことです。
それまでは、学校に行けないのは、
子どもにも行けない理由があるから
仕方ないことと、
頭では理解しながらも内心は、
「でも、出来れば行って欲しい~」
「せめて、別室登校とか、遅刻でもいい~」
とか思ってました。
せめてが出てくるうちは
まだ・・・
『ありのままを受け入れる』
準備段階の時期なんですよね。
それを教えてくれたのは、
娘のこれ以上ない失望感でした。
何かのせいにする怒り
誰かのせいにするイライラ
子どもが不登校になり、
私も子どもが辛い気持ち
悲しい気持ちもわかるけれど、
私も辛かったし悲しかった~
だから、
私自身、考えられること思いつくこと
やってみたけれど、
それでも、どうしても
学校に行けない子どもを見ると
「何で、私がこんなに頑張っているのに
子どもはわかってくれないのーー!?」
イライラが抑えきれず
怒りをぶつけることもありました😢
それで、更に親子関係が悪化する~
悪循環に振り回されていました。
それが、
娘が自室に引きこもってから
そんな親子ケンカさえも出来ない、
普段の会話すら出来ない緊迫した日常、
娘の部屋の前で声を掛けるも
勿論返答ナシ
かすかな物音が聞こえ、
そこで「生きている!」
と実感する。
そこからは、最悪な決断だけは
何が何でも避けたい!
ただ、ただ
「生きていてほしい!」
という願いに変わりました。
人は生きていると、
さまざまな欲望が湧いてくるものです。
でもね、
究極の生死を考える状態になって
考えた先に見えたのは
「生きる」ということ。
今ここに存在することの意味を
こんなに深く考えたことはありませんでした。
娘は、自分なりに心を落ち着かせて
心の充電が溜まってきたころ
やっと部屋のドアが解放されました。
そして、
その日を境に
ポツポツと心の中に
溜めていたことを話してくれるようになりました!
以前の私なら、
「でも・・・」
「○○の方がいいんじゃない?」
とか、話を聞いていても
ついついアドバイスを言ってしまう。
それが、最悪の時期を経験して
やっと私は、娘の話を『聴く』ことが
できるようになった気がします。
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